創世工房Low-Rewrite

一週間後、昭高は退院した。そして、彼にとってこの日が最初で最後の退院となってしまった。
 退院したその日、彼は突然の心臓発作により、静かにこの世から去った。
「嘘……」
 昭高が亡くなったと聞き、佳奈子は愕然とした。
 修学旅行から帰ってきた次の日、土産片手に彼の家へ向った。そして昭高の母親から彼の死を告げられたのだ。
佳奈子は母親のすすめで家に上がり、霊前の上に置いてある写真を見つめた。
 屈託の無い笑顔を浮かべている昭高が、そこにいた。
 昭高の母親の話はこうだ。
 退院したその日、彼は母親と二人で町を見回っていた。しかし母親は急の用事が出来てしまい、昭高を残して一人で先に家に帰ったのだ。
 だが、いつまでたっても昭高は帰ってこなかった。不審に思って母親が探しに行ったところ、近所の土手の上で倒れているのが見つかった。その時にはもう手遅れだった。
 彼の側には薬の入った小瓶が転がっていた。
━━運が悪かったのだ。
 あの付近は人通りが少ない。閑静とした住宅街の昼間、土手を通る人は誰もいなかった。
 病院の外の世界は、彼にとってはあまりにも広すぎた。
九年間籠の中で綴じ込もっていた鳥は、本能に赴くまま大空を独りで飛び、冷たい風を全身に浴びて人知れず地面に堕ちた。
 あまりにも、あまりにも酷すぎる話。
「…………」
 佳奈子は俯き、持ってきた土産に目をやった。
 『無病息災』のお守り。守るものを無くしたそれは、もはや意味も何も持たない。
 自然と拳を握り、体が小刻みに震える。
「アキ……何で死んじゃったの? まだ九年しか生きてないんだよ? これから楽しいことがいっぱい待ってるのに。みんなと同じように学校にも通えるし、修学旅行にも行けるし、友達もいっぱいできる…し……」
 心の底から熱い何かが込み上げてくる。胸が締め付けられ、鼓動するたびに悲しさを感じた。
佳奈子は溢れんばかりの涙を必死に堪えた。泣きたくなるほど悲しかったが、昭高の目の前で涙を見せるのは恥ずかしかった。
「昭高が……あなたにって」
 彼の母親から、佳奈子は四角く平べったい箱を受け取った。箱の表面には、『カナちゃんへ』と書いてあった。
 恐る恐る箱の中身を見ると、そこには画が入っていた。
それは????佳奈子の画だった。
椅子に座り、穏やかに微笑んでいる彼女は、まるで天使のようであった。
 繊細な色調。余すところの無い完璧な出来栄え。万人が感嘆の溜息をつくような、そんな画だった。
「やだなぁ……あたし、こんなに、こんなに美人じゃないよ、アキ……」
 頬を流れる涙を拭いながら、震える声で呟いた。
込み上げる想いは山ほどある。表現できないくらい沢山の想い出が、佳奈子の目の前を駆け抜ける。色鮮やかな、しかし、儚い想い出の画が。
 そしてこの画が、大沢昭高の遺作となってしまった。
 画の裏面には『大好きな人』と鉛筆で書かれていた。
佳奈子は震える手でその画を箱にしまおうとした。これ以上、直視できなかった。このままではきっと、涙が止まらないだろうから。
 その時、佳奈子はあることに気づいた。
 ━━━━もう一枚ある。
 箱の中にはもう一枚、画が入っていた。
「こ、れは……?」
画用紙を余すところなく、隅から隅まで塗りつくされた水色一色。水色以外の色は一切含まれていない。繊細な画が得意だった昭高のものとは思えないほどその画は壮大で、見ているこっちが吸い込まれそうだった。
 佳奈子は画の裏を見て、息を呑んだ。
 体が震える。流れ落ちる涙は止まるところを知らず、頬を伝って畳を濡らした。
佳奈子は嗚咽を漏らした。そして彼女の内でせき止められていた感情が溢れ出した。
「アキ……」
 『大空』……この画のタイトルだった。
━━ぼくね、生まれ変わったら鳥になりたい、鳥になりたいんだ。

 空の無い世界で生まれ育った彼。
 画がとても上手かった彼。
 本当は弱いのに強いふりをしていた彼。
 そして死んでしまった彼。
 しかし、彼は決して堕ちてなんかいない。彼は昇ったのだ。
 そして天を翔る途中、彼は此の目ではっきりと 蒼々と見たであろう。
 広々と。
 深々と。
 全てを慈しんで優しく見守る━━━━
 無限の空を。






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