創世工房Low-Rewrite

「うん。そうなんだけど……」
 佳奈子は語尾を濁して俯いた。
「あたし……アキの退院の日、学校の修学旅行で京都に行かなきゃいけないんだ。ごめんね……折角の退院記念日なのに」
「ううん! そんなことない!」昭高はおおげさに両手を振った。「カナちゃんはそこまで気を使わなくていいんだよ。それに、退院ていってもほんのちょっとだけだしね」
「そこで、だ」
 佳奈子は話の流れを無視し、先ほどまでのしおらしさはどこへいったのやら、またにやにや笑いを浮かべた。
 こういう時には何か嫌なことが起きる。昭高は佳奈子の習性や仕草を把握していたので、少し身構えた。
「昭高くんに一週間早い、退院祝いです」
 佳奈子は持ってきていた手さげ袋から、長方形の物体を取り出した。
「色鉛筆よ。これだけ揃っていれば何でも描けると思ってね。探すの苦労したのよ、これ」
「カナちゃん……」
 昭高は思わず零れそうになった涙をこらえた。泣きたくなるほど嬉しかったが、佳奈子の目の前で涙を見せるのは恥ずかしかった。
「……ありがとう」
「なに泣きそうになってるのよ! そうだ。せっかくだから、あたしの絵を描いてよ。画用紙あるでしょ?」
「うん!」
 佳奈子を病室に置いてあるパイプ椅子に座らせ、昭高は画用紙と鉛筆を取り出した。
 目の前に座っている佳奈子ひとりに神経を集中させ、鉛筆を軽やかに、流れるように動かす。 時間は緩やかに、円滑に過ぎてゆく。にこやかに笑う少女と、真剣な目をして鉛筆を走らせる少年。これから訪れる輝かしい未来に胸を膨らませ、どんなことでも乗り越えていけるという根拠のない、しかし、強い意思を秘めた年頃の二人。
 昭高は満足そうに画用紙を見て笑った。
「はい、終わり」
「えっ? まだ十分も描いてないじゃない」
「今のは下書き。完成したら渡すよ。だってカナちゃん、一、二時間もじっと座っていられないでしょ?」
「……まぁ、ね。じゃあ、住所教えてよ。アキの家ってこの近くでしょ? 画もらうついでに修学旅行のお土産持ってくから。あ、もちろん『無病息災』のお守りね」
 あはは、と佳奈子は笑い、椅子から立ち上がった。 「じゃあ、もう行くね」
「あっ、ちょっと待って!」
「ん? なに?」
昭高にとって、佳奈子が来てくれることは本当に嬉しいことだったが、同時に立ち去る姿を見るのが悲しかった。自分勝手な話だが、もう少しだけ彼女にいてほしかった。
「カナちゃんはさ……生まれ変わったら何になりたい?」
 何の脈絡も無い唐突な質問に、佳奈子は目を白黒させていたが、昭高は構わず続けた。
「ぼくは、生まれ変わったら鳥になりたい」
━━なにいってんだろう。
 他にいくらでも話題はあるだろうに。頭に血がのぼるのを昭高は確かに感じていた。
普段から昭高は「鳥になりたい」と思っていた。憧れていた。大きな翼をもって、自由に旅がしたいと思っていた。
 たとえそれが鼻先で笑われるような、取るに足らない話だとしても、話を聞いてくれる相手は彼女しかいないのだから。
「ばかねぇ。そんなことより早く退院しなさいよ。じゃあね、アキ!」
佳奈子は無垢な笑みを浮かべ、病室から去っていった。
 昭高はその笑顔を見届けると、先ほど佳奈子から貰った色鉛筆を手に、描きかけの画と向き合った。
しかし、途端に心臓の動機が激しくなった。まるで心臓がリズム感を無くしたようだった。
「……早く完成させないと」
置いてある瓶から錠剤を二、三粒取り出して呑みこんだら、すぐに心臓の痛みは無くなった。






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