創世工房Low-Rewrite

怒りが収まらなかった。
 殴っても殴っても、俺の怒りは収まらなかった。
 二月十四日のバレンタインデー。カップルで賑わう駅前。軒を連ねる商店もバレンタインに便乗して活気が溢れていた。
 そんな中にあって、俺は駅裏で拳を振るう。怒りのままに。思うがままに。
 何がバレンタインだ。こんな企画クソくらえだ。
 「何がバレンタインだ……。とことんやってやろうじゃねえかぁあああ!」
 今日はバレンタインデー。気にせず俺は男を磨く。


 「おい、恭介! 今日の俺決まってる?」
 朝。吐く息は白く、煙草を咥えてすらいないのに視界は靄で時折塞がれた。
 先日から髪の手入れに余念がない友人は、五分おきに自分の容姿について尋ねてくる。最初は軽く受け流していた俺も、流石に今では鬱陶しくて友人の顔面に上段廻し蹴りを入れたくて右足が疼く。次言われたら絶対だ。
 「ねー真面目に聞いてる? 去年みたいに記録ゼロで終わりたくないんだよー。頼むから真面目に聞いてくれよー」
 「やめろ。襟掴むな、鬱陶しい」
 「そんなこと言わずにさー。今日の俺決まってる?」
 「フヌァッ!」
 男に二言はない。一度言ったらやると言ったら絶対にやる。
 友人が丁度向き直ったその刹那、少林寺拳法有段者の上段廻し蹴りが彼の左側頭葉にクリーンヒット。友人は俺から見て左方向にある電信柱に顔面から突っ込んだ。
 本当は顔面を狙ったのだが、結果的に顔面をコンクリートにめり込ませることが出来たから良しとしよう。男なら贅沢は言うまい。
 「ちょ……恭介……。これ……洒落に……なんない……」
 か細く聞こえる友人の声は恐らく幻聴だろう。朝七時五十分。俺は気にすることなく学校を目指した。
 友人・中井は俗に言うチャラ男だ。
 ファッションセンスから髪型から持ち物、性格に至るまで、とにかく軟派だ。
 何かあれば直ぐに「彼女欲しい」とこぼす。可愛い女子を見かければ直ぐに話しかけに行く。幼馴染みでなければ、こんなチャラ男とは付き合おう等と思わない。
 「男とは常に強く、逞しく硬派であれ」
 幼い頃から父にそう叩き込まれてきた俺は、中井の言動が腹立たしくて仕方なかった。
 「いいか、恭介。女は本当に強く、逞しい男――即ち硬派な男にしか惚れないもんだ。見た目が派手でいい加減な男には惚れている風を装っていても、心の底からは惚れていない。
現に、俺は数多くのライバルを退けて絶世の美女である母さんと結婚したぞ。父さんの言うことは本当だ」
 そう言って父はいつもその腕の中に母を抱き、男らしく笑っていたもんである。父と母は絵に描いたようなおしどり夫婦だった。
そんな二人を幼少の砌より目にしていた俺は、「男は硬派であれ」の言葉が無意識のうちに信条となっていた。
 この生き方が本当は間違っているのかと思わなかったことが無い訳ではない。しかし、生まれてこの方、女に振られ続けている中井を見ていると、やはり自分が正しいと思わずにはいられないのだった。
 「あ、鈴木君おはよう!」
 信条の再認識を打ち破る明るい声。背後から聞こえてきたその声に、俺の脈拍は急速に激しくなる。
 「あれ? 聞こえなかったのかな。鈴木君、おはようってば」
 幻聴ではなかった。耳の奥で血管が波打つのが嫌でも分かる。汗腺は全開、そこから噴き出る汗はビクトリア瀑布も凌駕する勢いだ。
 心拍数は安定するどころかマラソン後のように乱れて止まない。出来るだけを自然を装い振り返ったその先に居たのは――
 「お、ようやく気付いたか! 寝呆けてるなよ鈴木恭介!」
 健康的な小麦色の肌。セミロングの黒髪。ナチュラルに整った睫毛と、その奥にあるパッチリ二重。少し厚みのある唇が笑うと、雪と見まごう純白の前歯が太陽光に光る気がする。古野美樹は今日も女神顔負けの可愛らしさを湛えていた。
 「あー……すまん。考え事をしていて気付かなかった」
 嘘ではない。半分は。
 「考え事かー。歩きながらは危ないぜ兄ちゃん! 足元すくわれて天下統一目前で討ち死にしちゃうよ」
 「天下っていつの時代だよ……」
 「んー、昭和かな? 周りの高校締め上げて天下取ってくだせえ兄貴!」
 「時代錯誤の不良かよ」
 「鈴木君硬派だから似合うよ!」
 「ふざけんな」
 呆れたように顔を背けると、俺はそのまま立ち去るように古野から距離を取った。
 小走りになりながら、校門目前で立ち止まり、息を大きく吸い込んで。
 「ハァーーーーーーー…………」
 思いっきり吐き出した。
 息が上手く出来ない。過呼吸になるかも。いや既になってるかも。心拍数上昇しまくりの血液巡りまくり。頭の中からガンガンと金槌で叩かれているみたいだ。足が震える。
 昨年。高校一年の春。古野と同じ委員会になって以来、クラスも違うし部活も違うのに、俺の神経はあいつに傾倒して止まない。
この動悸不全はもしかしたら何か重い病気では? そう思い中井に相談してみると、あのアホは「恋の病ですね」の一言で切り捨てた。
診断料の代わりに、俺は剣道部の木刀であいつを切り捨てた。
 それ以来まともに古野の顔を見れなくなってしまい、現在。何とか平静を装うも、軽く会話をすると直ぐにこれだ。 このままでは寿命がいどれだけ長くても足りやしない。  「くそ……。中井の野郎後で殺す……」
 校門の前で小さく呟いた言葉に固く誓いを立てて、俺は軽く走ったことによる顔の熱さを冷ましながら、一人校門をくぐった。






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